未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選
平成18年1月25日に「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」選定委員会により、125地区(114市町村)が選定され、長崎県から下表の5ケ所が選ばれました。
未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選は、漁村の魅力を掘り起こし交流をもっと盛んにするため、漁村に残る歴史的に価値の高い施設や現在では貴重な工法や様式の施設など、未来に残したい漁村の施設を漁業漁村百選として選定されたものです。
長崎県の漁業漁村百選一覧
 施設名
 市町名
 電話番号
 すくい漁場  諫早市  0957-22-1500(林務水産課)
 アホウ塀と歴史的建造物群  壱岐市  0920-48-1111(商工観光課)
 木坂の藻小屋  対馬市  0920-53-6111(建設課)
 有川捕鯨関連文化遺産  新上五島町  0959-53-1111(水産課)
鯨見山と鯨供養碑    
海童神社    
弁財天宮    
原眞一顕彰碑    
 カグラサン  五島市  0959-72-6111(水産課)
     
すくい漁場(諫早市)
 潮の干満の差がきわめて大きい有明海ならではの漁法で、満潮とともに石組みの「すくい」に入った魚が、干潮にしたがい出口の遊水池に集まったところを、手掴みやタモですくい捕る最も原始的な漁法である。
 幅約1m、高さ2〜3mの石積みを約330mの馬蹄型に積み上げた石組みは、独特の漁場として地域住民に親しまれてきた。
 江戸時代から明治中期頃までは有明海沿岸や島原半島沿岸に200箇所以上確認されたが、台風高波での石組み崩壊や漁獲技術の発達などにより、現在ではそのほとんどが姿を消している。
 諌早市内では高来町の湯江水の浦のみに現存し、有形歴史資料として諫早市文化財の指定を受けている。
 自然条件を巧みに利用した原始的漁法のひとつとして、漁業発達史に特筆されるものであり、現存するものは極めて少なく、工法・漁法とも貴重な財産である。



アホウ壁と歴史的建造群(壱岐市)
壱岐の島は朝鮮半島と日本列島の海峡部に位置しているために、日本海東シナ海間の「通り鯨」の道にあたり、冬は下り鯨、春は登り鯨が極めて多く、壱岐の近海は「うち霞む壱岐のわたりを見渡せば、鯨の息吹立たぬ日もなし」と歌われたほどである。
そこで田ノ浦土肥鯨組による勇壮な捕鯨が展開された。
盛漁期は、江戸時代中期以後で、操業体制は操業船56隻、従業者858名からなる大事業であった。当時の土肥家は日本における鯨王と言われ、鴻池、三井と共に日本の三大富豪とも言われた。平均年間捕獲頭数は27頭で、その頃は「鯨一頭しとめれば、七浦うるおう」と言われたほどである。捕鯨業で財を成した4代目土肥市兵衛は1767年に、御茶屋敷に巨額の財貨を投じて大邸宅を構えた。屋敷の入り口には大門を設け、邸宅の彫刻には金銀をちりばめた。東は小高い丘に囲まれ、南側は土塀部を大部分失っているが、高さ7.08m、長さ90mの大石塀が現在も昔のまま残されている。余りにも無用の長物に見えたのか、何時の頃からか「アホウ塀」と呼ばれている。
アホウ塀の有る勝本浦は漁業基盤として集落が形成された場所であり、古い漁家住宅や鯨組頭の屋敷跡、町家造りの商店、土蔵を持つ造り酒屋など数々の歴史的建造物が点在している。

木坂の藻小屋(対馬市)
藻小屋は浜石を積み上げ屋根を葺いたものである。対馬の海岸の村々では晩春の頃、 舟を操って「藻きり」をしたり、海岸に漂着した寄り藻を乾して、畑の肥料としたもので、この藻を貯える納屋を「藻小屋」と呼んだ。別名「船屋」とも称したのは、舟を使わない時はこれに格納したからである。藻小屋(舟屋)は、対馬の西海岸に多く存していたが、復元し保存しているのは、木坂の藻小屋だけである。

有川捕鯨関連文化遺産(新上五島町)
有川の捕鯨の歴史は、慶応年間に始まったといわれ、約400年の歴史を持つ。元禄4年(1691年)江口甚左衛門正利による有川鯨組が操業され、鯨見の番人が鯨の状況を見張る山であったのが鯨見山である。山頂付近には、甚左衛門が建立した捕鯨実績を刻んだ「捕鯨供養碑」と「夜明」「十一面」の二観音石仏がある。
海童神社は、海難事故が多発したことをきっかけに、元和6年(1620年)に龍神様を海童神として祭ったことを始まりとする神社である。鯨の顎骨で作られた鳥居が有名で、捕鯨で栄えた有川を象徴する建築物である。
弁財天宮は、約300年前、江戸時代の初期、五島藩有川と富江藩魚目が有川湾の海境争いの際、甚左衛門が江戸公訴の道中に鎌倉弁才天に勝訴祈願をしたところ、有川側の勝訴で決着したことから、その分霊を守り神として祭ったお宮である。正月14日には「弁財天祭り」が開催され、鯨歌が奉納される。
近代捕鯨の時代に入ると、有川出身の原眞一は、有川を基地に東洋捕鯨(株)によりノルウェー方式捕鯨を操業。地元への貢献により、顕彰碑が建てられている。

海童神社

弁財天宮
鯨見山の捕鯨供養碑

原眞一顕彰碑

カグラサン(五島市)
江戸時代の後期(明和年間:西暦1764〜1772年)にヨコオグン(佐賀県呼子の捕鯨船団)と称する捕鯨集団が、柏崎(現五島市三井楽町柏)に大規模な捕鯨基地を開設し、その際に整備されたと伝わる、鯨の引き揚げに用いた9基のろくろ台(国文学研究資料館に絵画「鯨絵巻・上」が所蔵)のうち現存する1基が柏の「カグラサン」である。
柏漁港の整備により周辺の埋立てが行われた現在も、地域の象徴、漁協のシンボルとして地域住民により大切に保存されている。なお、「カグラサン」という名称は、ろくろ使用時の動きが神楽舞に似ていたからと伝わってる。
建造時期:江戸時代後期(伝18世紀後半)



棚田  かおり  ダム湖 疎水 未来へ ギャラリーへ戻る